腫瘍循環器学の第一の目的はがん薬物療法の安全な遂行にあり、薬物療法の専門家である薬剤師の責任は大きい。薬学部で腫瘍循環器に精通した薬剤師の養成に力を入れる平出誠講師に、この分野における薬剤師の貢献のありかた、具体的に注意すべき薬剤について聞いた。
腫瘍循環器に通じた薬剤師教育の一環として、具体的な症例をもとに薬剤師に実践的な教育をされているそうですね。腫瘍循環器学自体、学問領域としては生まれて日が浅いと思うのですが、どうしてこの分野に興味をもたれたのですか。
平出私は2020年に星薬科大学に赴任するまで、がん研究会有明病院に勤務していました。がん治療が進歩し、がんサバイバーが増えてくるにつれ、循環器合併症に苦しむ患者さんも増えていることを日々感じていました。どうにかできないかと思っていたところ、専門の学会である日本腫瘍循環器学会が立ち上がり、薬剤師としてこの領域を深めていく決心をしました。
その後、大学で教える立場になったので、学生さんには大学にいるうちに腫瘍循環器の大切さを知ってもらいたいと思っています。大学という性格上、ほかの医療機関と共同研究を組みやすい。そこで臨床研究も進めています。
がん患者の出血の現状を把握する臨床研究
腫瘍循環器のエビデンスの多くは海外の臨床研究から導かれたもので、日本人を対象にした臨床研究が足りないと指摘されていますね。先生が進めている臨床研究とはどのようなものですか。
平出私は今までに、がん関連血栓症(CAT)発症リスク因子の特定や臨床現場に即した抗凝固薬の投与方法、薬物間相互作用に関する研究を進めてきました。現在はがん患者の出血状況を調べる観察研究を始めています。腫瘍循環器の分野ではCATが注目されていますが、実はがん患者は出血も起こしやすい。出血個所や出血量によっては薬物治療を見合わせるケースもあり、またCATを発症した場合には直接経口抗凝固薬(DOAC)を使うことで、さらに出血が問題になります。そこで、がん患者におけるDOACの銘柄別の傾向やそのリスク因子を解明しようとしています。こうした知見が蓄積すれば、患者のリスク因子に合わせたDOACの選択が可能になり、初期治療がスムーズになると考えています。
注意を要する5つの薬剤
がん治療に携わる薬剤師として知っておくべき薬剤の特徴を指摘していますね。
平出腫瘍循環器の領域で特に問題になるのはアントラサイクリン系薬剤、抗HER2阻害薬、血管新生阻害薬、プロテアソーム阻害薬、免疫チェックポイント阻害薬の5種類です。これらが循環器にどのように影響するのか、その対策は何かを知ることが出発点になります。
アントラサイクリン系薬剤は蓄積性かつ用量依存性に心筋障害を起こすことが知られています。ドキソルビシンでは500 mg/m2が累積上限とされていますので、薬剤師はレジメン監査時に患者さんごとにそれまでの累積投与量を計算します。問題は、累積投与量が低用量でも心筋障害を起こす例があることです。心毒性の危険因子である高齢者(≧65歳)、小児(<18歳)、基礎疾患の合併や既往、そのほか高血圧や糖尿病など心血管疾患リスクに注意する必要があります。
患者背景に注意することも薬剤師の仕事ということですね。
平出レジメンを確認するとともに患者側の要因を事前に把握すること、それに応じた患者指導も薬剤師の業務です。
患者からの聴取が重要なのは抗HER2阻害薬にも言えます。抗HER2阻害薬はHER2陽性の乳がんと胃がん治療のキードラッグですが、数パーセントの頻度で心機能障害が出現します。現在、アントラサイクリン系薬剤と併用することはありませんが、アントラサイクリン系薬剤との逐次療法では1~4.1%で心不全症状、4.4~18.6%で左室駆出率(LVEF)の低下がみられると報告されています。
特徴は無症候性である場合が多いということです。最近承認されたトラスツズマブ デルクステカンの臨床試験でも無症候性のLVEF低下が1.6%に認められたと報告されています。また、海外のガイドラインでは過去のアントラサイクリン系薬剤による治療歴、高齢(>65歳)、肥満(BMI>30)などのリスク因子を確認することが推奨されており、治療開始前のリスク管理が非常に大切になります。
見落としてはいけないのは小児のうちにアントラサイクリン系薬剤の使用経験がある症例です。私も病院薬剤師時代に医師から「小児期も含めてアントラサイクリン系薬剤の総投与量を確認できるか」と問われたことがあります。患者の治療歴の確認がここでも欠かせません。
免疫チェックポイント阻害薬関連心筋症の診断には心電図・トロポニンが有用
平出抗VEGF抗体など血管新生阻害薬では高血圧、血栓塞栓症、QT延長症候群が出現します。特に高血圧は投与開始直後、その後は一定期間後に出現するという2相性が認められます。ですから、投与前、投与開始1週間以内、1ヵ月以降というようにモニターします。
多発性骨髄腫の治療に用いられるプロテアソーム阻害薬による循環器症状は非常に多彩で管理は難しい。心房細動や不整脈などの心機能障害から血栓などの血管障害まで網羅的に管理する必要があります。高血圧、深部静脈血栓症にはとりわけ注意が必要です。また、多発性骨髄腫の患者さんは病態的にもM蛋白に関連する凝固異常や血管障害が考えられることから、心血管疾患の発症には特に注意が必要とされています。
免疫チェックポイント阻害薬(ICI)では急性期心筋障害の早期発見が最大のポイントになります。いろいろなレジメンに入りますので、今後ICIの心筋炎に遭遇する機会は増えてくると思います。発症率は1~2%程度ですが、発症すると死亡率は43~46%にのぼります。ここで医師とともに薬剤師が共通認識として知っておくべきことは「治療開始90日以内に心筋炎が発症する傾向がある」ことに加え、「心電図異常、心筋トロポニンT/I上昇が心筋炎の早期発見に有用である」ということです。LVEFはICI心筋症症例で必ず低下するというわけでなく、早期発見の指標となりにくい。
心筋炎治療介入のポイントは、胸痛や息切れなどの症状と心電図変化、バイオマーカー(検査値)異常の有無です。薬剤師もこうした指標を把握することで、例えば、バイオマーカー(心筋トロポニンT/I、CK、BNP/NT-proBNP)が上昇した場合には、「心筋トロポニンT/Iが上がっているので、心エコー図検査を追加するのはどうでしょうか」などと医師と協議することもできると考えています。
患者を想定した薬学教育を実践
薬学部ではどのような講義を行われているのですか。
平出腫瘍循環器系の症状が出現したときの具体的な評価や考え方を学びます。例えば、模擬症例のKhorana scoreや血清D-dimer値をもとに静脈血栓塞栓症(VTE)のリスクを評価します。
またワルファリンカリウムを使用する場合を想定し、プロトロンビン時間国際標準比(PT-INR)が適正値であるかどうかの確認なども行っています。ワルファリンカリウムを使用して抗がん薬との薬物間相互作用が生じた場合、DOACに切り替えるべきかどうか、切り替えるタイミングはいつかなども検討します。
ワルファリンカリウムは血中半減期が長いことから、DOACに切り替える際には一定の休薬期間を置くことがポイントです。DOACについても腎機能などを目印に投与量を計算します。患者に出血がある場合を想定したDOACの減量方法なども学びます。
実践的な講義ですね。既に医療現場に出ている薬剤師さんも勉強したいでしょうね。
平出薬剤師さんたちはハンドブックなどで勉強することが多いと思いますが、実際の症例から経験することも非常に大切です。腫瘍循環器の問題は幅が広く、予想しなかった事態に遭遇することもあります。例えば、私はインフュージョンポンプを用いてフルオロウラシル(5-FU)を投与していた患者さんが自宅に戻られた際に狭心症を起こした事例を経験しました。このときは最終的に5-FUを除いたレジメンに変更されましたが、このような実際の症例や日々のクリニカル・クエスチョン(CQ)から1つずつ学ぶことが大切だと思いました。
腫瘍循環器における薬剤師の貢献
腫瘍循環器の視点からみた薬剤師の貢献をどのように捉えていますか。
平出腫瘍循環器には「がん治療に用いる薬物がもたらす循環器の障害」と「心臓病など循環器疾患の患者さんががん治療を受ける」という2つの側面があります。しかも冒頭にお話ししたように血栓症を発症する一方で出血傾向もあるというようにリスクが複合化しています。そこで、腫瘍医と循環器医との密な連携が必要になります。薬剤師は治療薬を介していろいろな病気や患者さんに横断的にアプローチできる立場にありますから、その強みを活かして、がん治療と循環器医療の架け橋となる存在となってほしいと願っています。