がんの術前検査には心血管のベースラインチェックを がんの術前検査には心血管のベースラインチェックを

腫瘍循環器の問題を重視する医療関係者は増えているものの、なお医師間の認識のギャップが大きいのも事実。循環器内科の専門医でありながら、がん研有明病院や国立がん研究センター中央病院と連携してがん患者の診療にもあたり、先の第31回日本乳癌学会学術総会でも乳がん専門医らに腫瘍循環器の重要性を説いた東京都済生会中央病院の遠藤彩佳副医長に、腫瘍循環器医療の現状と将来を展望してもらった。

 

遠藤先生はがん研有明病院や国立がん研究センター中央病院のがん患者さんの循環器のケアをしているそうですね。

遠藤彩佳 副医長
  • 東京都済生会中央病院 循環器内科の遠藤彩佳・副医長

遠藤東京都済生会中央病院は2009年よりがん研有明病院や国立がん研究センター中央病院と公式な病診連携を結んでおり、両病院の循環器内科の先生と連携を取りながら循環器診療のサポートをさせていただいています。がん研有明病院では腫瘍循環器外来も担当させていただいているほか、済生会中央病院では腫瘍循環器の救急疾患も含め24時間365日いつでも患者さんの診療に当たっています。

エビデンス集積が難しいわけ

先日の日本乳癌学会学術総会(2023年6月29日~7月1日)で先生の講演を拝聴しました。先生は腫瘍循環器医療の現状をどのようにみていますか。

遠藤がんの治療ではさまざまな新薬も開発され、担がん患者さんの生命予後、QOLは著しく改善しています。しかし一方で、がん治療による循環器合併症(心血管毒性)が新たな問題にもなっています。2011年に発表された乳がん患者さんの死亡原因に関するデータでは、10年目を境に心血管疾患による死亡が、がんによる死亡を上回ることも報告されています。乳がん治療ではアントラサイクリン系抗がん剤や抗HER2薬の使用、放射線治療など心血管毒性リスクの高い治療も多いため、十分な対応が必要になります。

一番の問題は、医療従事者間での心血管毒性に対する情報共有の不足です。2000年に米国MDアンダーソンがんセンター(MDACC)で初の腫瘍循環器ユニットが誕生して以降、色々と研究が進み、2022年に欧州心臓病学会(ESC)より初の腫瘍循環器学ガイドライン『Cardio-Oncology Guideline』が発表されたばかりのまだ新しい学術領域であることも理由の1つだと思います。

情報共有が不足するというのはどのような理由からですか。

遠藤もともと循環器内科はがん治療とは縁遠い診療科でもあり、がん患者さんのがん治療に伴う心血管毒性のデータには限りがありました。そして、実際のがん患者さんの診療を担うのは腫瘍専門医であり、その腫瘍専門医は乳腺科をはじめ多くの診療科にわたりますので、科を越えて情報を共有する難しさもあります。また、直接がん治療には携わらない私たち循環器医がどのようにサポートさせていただくかというシステム構築にも課題が山積みです。さらに、放射線治療など10年以上経過してから発症する晩期障害もあり、長期間フォローアップの難しさも検討しなければなりません。

無症候のうちに手を打つべし

腫瘍専門科と循環器科という異なる診療科で担う腫瘍循環器学ならではの構造的な課題があるということですね。臨床現場で最も大切なことは何だとお考えですか。

遠藤がん治療に伴う心血管毒性を正しく理解し、心血管毒性の予防とともに早期発見・早期治療がとても大切だと考えます。乳がん治療では、アントラサイクリン系抗がん剤や抗HER2薬、放射線治療の際に、治療前、治療中、治療後と継続的に心血管毒性のモニタリング検査を評価することが早期発見の第一歩です。

当院でもアントラサイクリン系抗がん剤や抗HER2薬によるがん治療関連心機能障害(CTRCD)で心機能低下、心不全を発症した乳がん患者さんを多く診療していますが、早期発見、早期治療介入できた症例では可逆的に心機能も回復することが多いです。しかし、発見が遅れた症例では、不可逆的な心筋障害へと進み、重症なケースではECMO(体外式膜型人工心肺)まで必要となることもあります。そのような場合は、乳がん治療が中断されることでがんの予後も悪くなります。たとえがんが完治したとしても、重症心疾患を抱えてその後の人生を過ごさなければならなくなります。

CTRCDに対する初動には実際に患者の治療をしているがん専門医の判断が重要という教訓でもありますね。

遠藤私たち循環器医はがん専門医ではないため、がん治療に直接介入することが難しい立場です。そのため、がん専門医である主治医やがん治療に携わるメディカルスタッフとの連携がとても重要になってきます。特に、アントラサイクリン系抗がん剤や抗HER2薬によるCTRCDの初期は、その多くが無症候性で進行します。その時点で発見することが予後改善に繋がります。

そのために何が必要ですか。

遠藤今回発表されたガイドラインでも推奨されていますが、アントラサイクリン系抗がん剤や抗HER2薬などの心血管毒性の副作用をもつ抗がん剤治療を開始する前に、心血管疾患のスクリーニング検査を行い、リスク評価をすることが大切です。治療前検査としては、①血液検査(BNP、トロポニンなどの心筋バイオマーカー)、②心電図、③心エコー検査を評価することが強く推奨されています。この評価は、治療前だけでなく、治療中、治療後も定期的に評価を続けることで早期発見に繋がります。

がん治療前の心血管疾患のスクリーニングが重要ということですね。どんなときに循環器医へコンサルトが必要ですか。

遠藤スクリーニング検査で異常所見を認めた場合やリスクの高い患者さんの場合は治療開始前に循環器科へ相談いただければと思います。特にリスクの高い患者さんとして、高齢者(65歳以上・特に80歳以上)、高血圧や糖尿病、腎機能障害などの併存疾患、喫煙、肥満(BMI>30)、アントラサイクリン系抗がん剤や抗HER2薬の使用歴、虚血性心疾患、弁膜症や心不全など心血管疾患を有する患者さんなどは注意が必要です。

がん治療中や治療後にCTRCDを発症してしまった場合でも、心筋保護治療(ACE阻害薬、ARB、β遮断薬)や心不全治療の開始とともに、アントラサイクリン系抗がん剤や抗HER2薬の継続の可否、心血管毒性の低い代替治療(2nd line)への変更など早急に腫瘍専門医と相談が必要ですのでご連絡いただきたいです。

もちろん、アントラサイクリン系抗がん剤や抗HER2薬を使用すること自体がリスクであり定期的なスクリーニングは必要ですので、スクリーニング検査で問題がなかった場合やリスクの低い患者さんであっても悩んだらいつでも循環器科に声をかけていただけると嬉しいです。また、腫瘍専門医と循環器医でそれぞれの施設でスクリーニング体制を構築することも大事だと思います。

患者が自ら気づくために事前に情報提供も

遠藤またがん患者さんにもがん治療に伴って心血管毒性が生じることがあること、それはどのような症状かをがん治療の開始前に情報提供しておくことも重要です。

私たちもがん患者さんに説明することがありますが、多くの患者さんががんのことで頭がいっぱいで、心血管リスクの説明をすると「え?がんだけではなく心臓も?」と驚かれることがよくあります。心不全症状など患者さん自身が気づき、主治医やメディカルスタッフに伝えることも早期発見、早期治療に繋がります。不安に思うことがあれば、主治医だけでなく循環器医にも相談していただければと思います。

こんなことでコンサルトして良いかと心配するがん専門医の声を聴きますが、どんなことでも相談していただきたいです。CTRCDの早期発見、早期治療を心がけ、心血管毒性でがん治療が中断されることなく、患者さんと腫瘍専門医が安心してがん治療に臨めるよう、循環器医としてこれからもサポートしていきたいと思います。