Dr.佐瀬が推薦する必読論文(第2回)Dr.佐瀬が推薦する必読論文(第2回)寄稿:ESC診療ガイドラインが示す腫瘍循環器学のエビデンス・ギャップと今後への課題

寄稿
ESC診療ガイドラインが示す腫瘍循環器学のエビデンス・ギャップと今後への課題
Evidence Gaps in 2022 ESC Guidelines on Cardio-Oncology: A Sea of Opportunity

はじめに

がん治療成績の向上に伴い、結果として心血管リスク因子(CVRF)を有するがん患者の管理やがん治療関連心血管毒性(CTR-CVT)という多彩な病態が新たな課題となっている1)

腫瘍循環器学は、CVRFの管理やCTR-CVTの予防・診断・治療を通じ、有効ながん治療の完遂とがんサバイバーのアウトカム改善を共通目的とする、学際領域の多職種連携である2,3)

昨年、欧州心臓病学会(ESC)/欧州血液腫瘍学会(EHA)/欧州放射線腫瘍学会(ESTRO)/国際腫瘍循環器学会(IC-OS)が合同で腫瘍循環器の診療ガイドライン(ESC2022-CPG)を公表した4)

本稿では、ガイドラインの概要、ガイドラインのメッセージ、および今後への課題について、日本の腫瘍循環器医療への教訓を含めて概説する。

学際領域における診療ガイドラインの重要性

ガリレオは、自作の望遠鏡を夜空の明るい点に向けて星の動きを解明した。それから約400年後、科学者たちが深宇宙の暗い領域に望遠鏡を向けると無数の銀河団が姿を現した。

従来、新たながん治療の有効性を評価する臨床試験からは心疾患の既往が、逆に心不全を対象とする研究からは活動性のがん患者が、それぞれ除外されてきた。しかしながら近年、腫瘍循環器学という新たな学際領域における診療ガイドラインの作成過程において、推奨レベルが高いもののエビデンスレベルが低い、いわゆるエビデンス・ギャップの存在が顕在化した5-7)

これは腫瘍循環器学に限ったことではない。

米国科学アカデミーの医学研究所(IOM)は、「信頼できる診療ガイドライン」と題する大統領への報告書の中で、診療ガイドラインとは患者ケアを最適化するために必要なベネフィット/リスク評価や代替治療オプションをまとめるべきものであると定義している。現実ではガイドラインは乱立しがちで、利害関係者間の調整も容易ではないため、IOMは信頼できるガイドラインの指標として8つの指標(透明性の担保、利益相反の開示、作成委員会の構成、システマティックレビューの実施、エビデンスレベルの提示、推奨レベルの明確化、外部からの査読、および適切な更新)を示している8)

報告書の中でIOMは、学際領域のガイドライン作成はそれぞれの領域で実施した研究のサブ解析として始まることが多く当初はエビデンスレベルが低いことを指摘し、逆にそのような領域こそ多職種連携(MDT)やシェアード・デシジョン・メイキング(SDM)の基盤となる診療ガイドラインが必要であると提言した(注:日本ではまず指標となるガイダンス文書9)を作成し、次にエビデンスに基づく診療ガイドライン10)を公表した)。

今後、エビデンス作り、すなわち光を当てるべき領域に焦点を合わせる研究を実施することが重要である。

ESC診療ガイドラインの概要

ESC2022-CPGは、CTR-CVTという新しい用語とリスクに応じた個別管理アルゴリズムを特徴とする診療ガイドラインである4)

CTR-CVTとは、最新のがん治療法に伴い顕在化した多彩な循環器疾患を反映した用語である。まず心毒性(cardiotoxicity)は、抗がん剤や放射線治療に合併する症候性心不全である。次にがん治療関連心機能障害(CTRCD)は、分子標的薬トラスツズマブに伴う無症候性心機能低下等に対応した用語である。さらにCTR-CVTは、分子標的薬や免疫療法などの新たな治療モダリティに伴う心不全、心機能障害、心筋梗塞、高血圧、不整脈、心臓弁膜症、静脈血栓塞栓症、心膜疾患等の多種多彩な心血管系の病態にも対応した用語である1)

リスクに応じた個別管理とは、CTR-CVTの動的側面を考慮した新概念である()。まずベースラインでは個々の患者それぞれにCTR-CVTリスクが存在する。次にがん治療中には個々のがん治療法それぞれにベネフィットとリスクがあり、不必要ながん治療中止を避ける必要がある。さらにCTR-CVT発症時には一般的なCVDに加えてがん関連・がん治療関連・患者関連の各因子が関与する4)

図 がん治療関連心血管毒性(CTR-CVT)

がん治療関連心血管毒性(CTR-CVT)
ESCガイドラインが示すCTR-CVTリスクに応じた個別管理(文献4より改変引用)

ESCでは、前述したIOMの8指標と同様の基準に加え、ESC独自の基準としてポケットガイドライン/スライドセット/アプリ/患者用パンフレットなどのリソースを提供し、品質指標(QI)としてアドヒアランスも確認している4)

ESC診療ガイドラインが促すパラダイム・シフト

リスクに応じた個別管理は、2016年のESCポジション・ペーパーにおける心毒性という薬剤中心型アプローチからCTR-CVTリスクに基づく個別管理アルゴリズムという患者中心型アプローチへのパラダイム・シフト、すなわちESC2022-CPGからの重要なメッセージである4)

(A)ベースラインのリスク評価

ベースライン評価によりCTR-CVTリスクが高いがん治療が予定される患者を低/中/高リスクに分類し、がん治療法の選択、CTR-CVTサーベイランスの必要性、および患者教育に役立てる。

(B)がん治療中のサーベイランス

がん治療中のCTR-CVTサーベイランスは、発症予防と早期発見を目的とする一次予防である。有効ながん治療の完遂による患者アウトカムの向上を共通目的として、MDTにより過剰診断11)や過少診断を防止する(注:日本では高用量抗がん剤投与時の心保護薬がドラッグ・ラグになっており、関係各学会が厚労省に要望書を提出した10))。

(C)CTR-CVT発症時の管理

CTR-CVT発症時には一般的な循環器系疾患の治療/二次予防(再発予防)ガイドラインに加え、がん関連・がん治療関連・患者関連の3要素を考慮する。新たな推奨事項として、寛容な管理すなわち無症候性かつ中等度の心機能低下ではがん治療を継続する。

免疫チェックポイント阻害薬による心筋炎は稀ながら致死的であり、発症後の対応を事前に整備しておく。がん患者を対象とする抗凝固療法では、TBIP(T:血栓症、B:出血、I:薬物相互作用、P:患者の好み)に配慮する(注:ここでもドラッグ・ラグに関する要望書が厚労省に提出されている10))。

(D)がん治療終了時の評価

全がんサバイバーのCVリスクをがん治療終了後1年以内に評価する。これにより、過剰診断や過少診断を防止する。

(E)長期フォローアップ計画

CVリスクが高いサバイバーについては、教育や支援を提供する。

ESC2022が浮き彫りにした課題

ESC2022-CPGは現時点における腫瘍循環器学の課題を浮き彫りにした。具体的には、妥当性、実行可能性、および持続可能性に改善の余地がある11,12)

妥当性とは推奨レベルとエビデンスレベルの乖離、すなわちエビデンス・ギャップである。診療ガイドラインは医師のみならず保険会社、品質評価機関、あるいは医療過誤訴訟の弁護士も利用するため、過剰な推奨によるリスクにも配慮が必要である。また、個別化医療ではランダム化比較対照試験の実施が困難な場合があり、エビデンスレベルの評価法にも進化が求められる12)

実行可能性とは医療現場における腫瘍循環器サービスの充実である。ESC2022-CPGは133ページで272の推奨項目が示されているが、例えばベースラインや治療終了時のCVリスク評価に際し、腫瘍専門医の負担増加が懸念される。CTR-CVT発症時の寛容な管理は、循環器専門医にとって全く新しい概念である。従って、チーム医療、腫瘍循環器外来、あるいは地域医療連携等、実行可能性を高めるための戦略的投資が必要である12)

持続可能性とは定期的な更新のためのエコシステムである。特に腫瘍循環器学では腫瘍と循環器の両方とも進歩が非常に速い。従って、医療従事者や患者のみではなく広く社会全体からの支援を得るための患者市民参画(PPI)が重要である12)

まとめ

最近国内外から相次いでガイダンス文書や診療ガイドラインが公表され、腫瘍循環器学に対する関心が高まっている。

ESC2022-CPGは、CTR-CVTという新しい用語とリスクに応じた個別管理アルゴリズムにより、薬剤中心型から患者中心型へのパラダイム・シフトを促している。

しかしながら、この新たな学際領域の診療ガイドラインはその妥当性、実行可能性、持続可能性という課題を浮き彫りにしている。

今後、わが国においてもこの診療ガイドラインを教育・診療・研究の柱として活用するとともに、腫瘍循環器学における学際領域の多職種連携を推進するためのさらなる戦略的投資が必要である。

文献

  • 1) Herrmann J, et al.: Eur Heart J. 43(4): 280-299, 2022 [PubMed]
  • 2) 佐瀬一洋(編):医学のあゆみ.273(6): 481-527, 2020
  • 3) 佐瀬一洋(編):循環器ジャーナル.69(4): 504-646, 2021
  • 4) Lyon AR, et al.: Eur Heart J. 43(41): 4229-4361, 2022 [OUP]. Erratum in: Eur Heart J. 44(18): 1621, 2023 [OUP]
  • 5) Zamorano JL, et al.: Eur Heart J. 37(36): 2768-2801, 2016 [PubMed]
  • 6) Leong DP, et al.: Heart Fail Clin. 18(3): 489-501, 2022 [PubMed]
  • 7) Alexandre J, et al.: J Am Heart Assoc. 9(18): e018403, 2020 [PubMed]
  • 8) Institute of Medicine: Clinical Practice Guidelines We Can Trust. National Academies Press, 2011. Doi: 10.17226/13058
  • 9) 小室一成(監修),日本腫瘍循環器学会編集委員会(編集):腫瘍循環器診療ハンドブック.メジカルビュー社,2020
  • 10) 日本臨床腫瘍学会・日本腫瘍循環器学会(編),日本癌治療学会・日本循環器学会・日本心エコー図学会(協力):Onco-cardiologyガイドライン. 南江堂,2023
  • 11) Witteles RM, et al.: JACC CardioOncol. 5(1): 133-136, 2022 [PubMed]
  • 12) Sase K, et al.: JACC CardioOncol. 5(1): 145-148, 2022 [PubMed]