がん治療終了2年後には静脈血栓塞栓症リスクは非がん患者と同程度のレベルに低下 がん治療終了2年後には静脈血栓塞栓症リスクは非がん患者と同程度のレベルに低下

がん治療終了後も静脈血栓塞栓症(VTE)を予防するために抗凝固療法が続けられることがある。がんサバイバーはいつまで抗凝固療法を続けられるべきか。その問いに答えるためにファイザー株式会社のメディカルアフェアーズ部門とがん研究会有明病院腫瘍循環器・循環器内科の志賀太郎部長が症例データベースを解析し、治療終了後のVTE発生の経時的変化を解析、公表した(Imura M, et al.: Epidemiological Study Regarding the Incidence of Venous Thromboembolism in Patients After Cancer Remission. Cardiol Ther. 11(4): 611-623, 2022)。論文の筆頭著者であるファイザー株式会社メディカルアフェアーズ部門の伊村美紀氏に研究の背景とその結果を聞いた。

がん寛解後のVTE発症率に注目したのはなぜですか。

伊村 美紀 氏

伊村VTE患者さんの約3割はがんを合併していることが分かっていました。治療の進歩に伴って、たとえがんになっても、生存期間が長くなり、がんが完治するケースも増えてきています。その一方でがんに打ち勝つことができても、がんに起因して起こるVTEのために命を落としてしまうような例が増えてきていることも指摘されています。
がん合併VTEは再発リスクが高く、抗凝固治療中の出血リスクも高いというデータがあることからも、実臨床下においてどのような課題があり、またVTE治療が最適化されるためには、どうすればいいのかという点について、腫瘍循環器科の先生方と意見交換をしてきました。その過程で、「がんが寛解した場合の抗凝固治療をどうすべきか」という問題に迷われている先生方が少なくないことを知りました。
がんそのものの影響がなくなったとしても、がん治療の影響などを考えた場合に、一定期間はVTEリスクが高く、徐々にそのリスクは低下していくことが予想されました。しかしどのくらいの期間リスクが高いかはデータがなく、がん治療の進歩に伴いがんが寛解するケースが増えている時代において今後より重要な課題になっていくだろうと思い、また、がん寛解後に患者さんが日常の生活を維持していけるように、がん寛解後のVTEリスクの経時的な変化に注目いたしました。

研究の対象とした症例データとしてMDVのデータを利用しましたね。その理由を教えてください。

伊村MDVデータベースは、日本国内の450の急性期病院(DPCシステムを有する急性期病院の23%、入院・外来の約3,700万人を含む)の診療報酬請求明細書(レセプト)およびDPCデータからなる匿名加工されたデータベース(解析用データ抽出を行った2021年6月時点)です。利用可能だった他のデータベースに比べ、外来通院患者さん・入院患者さん両方の患者さんのデータが圧倒的に多いことから、VTEのように日本国内においてそれほど発症数が多い疾患ではなく、さらに“がん寛解後の患者”という条件を追加した場合においても、“がん種別のサブ解析”をも含めた解析が十分可能なN数を確保できるという点で、MDVのデータを利用しました。MDVのデータは、基本的にはDPC病院に通院する患者さんのレセプトデータであり、検査値や重症度などが一部の患者さんに制限されてしまいます。その点は研究を行う上での限界ですので、今後、幅広く解析可能になるとよいなと思っています。

治療中のVTEリスクが高いがんは寛解後も高リスク

検討の結果を教えてください。

伊村解析したがん寛解後の638,908例中5,533例でVTEの発症が認められました。「がん寛解後」とは、がんの治療のために入院した患者のうち、治療によって“治癒・軽快”または“寛解”が認められた患者、と定義しました。VTEの内訳としては肺塞栓が779例、深部静脈血栓が5,084例でした。VTE発症のタイミングは、最初の30日間で2.4%/年、31日から60日までの間に1.35%/年。その後は徐々に減少していき、181日から360日では0.48%/年になり、寛解後2年を経過すると0.3%/年以下に安定することが明らかになりました()。この0.3%/年以下は、非がん患者のVTEリスクと同等です。現行のガイドラインでも寛解後の治療について明確な根拠が記載されておりませんので、非常に重要な知見であると考えています。

がんの種類によってVTEのリスクは異なっていましたか。

伊村一般的にVTEのリスクはがん種によって異なることが明らかになっています。海外のデータでは、最もリスクが高いがん種は、膵臓、次いで腹部、卵巣、一方で前立腺がんや乳がんはリスクが低いと報告されています。
今回の調査では、患者背景としては、腸・胃・乳・腎臓・肺の順に、患者の割合が多かったのですが、それらがんの寛解後のVTEリスクでは、膵臓、肝臓、血液・リンパの順にリスクが高く、前立腺がんや乳がんではリスクが低いという結果でした。VTEのリスクが高い疾患ではがん寛解後も、リスクは高く、VTEリスクの低いがん種では、がん寛解後もリスクが低いという傾向が認められました。
今回は、転移性のがんや複数のがんが確認されている患者さんは除外していますし、がん治療としても、約75%が外科手術の患者さんでしたので、外科手術でがんを取り除くことができて寛解と判断された、比較的ステージの早い患者さんでのデータだと考えています。

がん寛解後VTEの発症率について人種差は認められましたか。

伊村日本人のVTE発症率は、欧米人の8分の1くらいと推察されており、VTEリスク自体に、生活習慣の違いなども含めた広い意味での人種差はあると考えられています。また、人種によって発症率の高いがんの種類が異なることも知られており、定期的な検査の実施状況なども診断率に影響すると思いますが、同じ種類のがんでVTE発症リスクが人種によって異なるのかという点については、明確なデータはないと思います。がん寛解後のデータについては、比較可能な日本人以外の人種のデータがありません。
がん関連VTEでは、がん診断と同時期にVTEが診断されることが多い、というデータがあります。この理由の1つはVTEに対する疾患認知度も高まってきて、がんであることが分かるとVTEがないかどうかを積極的に検査し、その結果VTEが発見されるケースが増えてきている、という近年の医療者側の意識の変化が関係している可能性もあると推察されますが、がんの活動期には、がん細胞が産生するさまざまな液性因子が、凝固線溶系に影響を及ぼしていることもあり、活動性のがんがあるとVTEの発症リスクが高まるということがまずは関係していると思います。
がん治療を行い、がんが寛解に至るとVTE発症リスクは低下していくことを考えると、がん細胞による影響は、がんの活動性が高いがん治療前に一番高く、がん治療が進み、がんが縮小するにしたがって、全体としてリスクは徐々に低下していくと考えられます。こうした傾向は、どの人種でも同じであると思います。ただしVTEのリスクは、がんの活動性だけではなく、がんの種類や化学療法などにも影響されますので、個々の患者さんの状態をみてリスクを評価すべきだと思います。

いつまで抗凝固療法を行うべきか

今回の解析結果から、がん寛解後の抗凝固療法は2年まで行うということが提案できますか。

伊村がん患者さんは、さまざまなVTE発症リスクをもっていると考えられます。腫瘍関連の因子以外にも、がん治療そのものがVTE発症のリスクになると考えられますし、がんの症状や抗がん剤の副作用などで、ベッドで過ごす時間が長いこともVTE発症のリスクです。他のさまざまな合併症の併存もリスク因子となります。今回の研究から、リスクの高い期間について示唆する結果は得られましたが、「抗凝固療法は2年間」というように一律の決めごとではなく、各患者のリスク評価をきちんと行い、患者ごとに治療期間を決めることが理想と結論づけています。
抗凝固療法は、確かにVTE発症リスクを低下させますが、その一方で出血のリスクを高めてしまいます。このため、VTEの発症リスクだけでなく、出血のリスクも同時に評価し、両方のリスクのバランスを考えることが重要です。
がん患者さんでは、がんが寛解した後は、腫瘍科でのがんのフォローのみになっていることも多いと聞きます。患者さんのVTEリスクを評価して、リスクの高いとみられる期間においては、VTEの発症・再発をフォローしていただくのがよいかと思っています。

VTE以外の、心不全などのがん関連循環器障害の発症リスクなども評価することを計画されていますか。

伊村今回の研究では、がん寛解後のVTEリスクについて注目して解析しましたが、がん関連循環器障害のリスクが高い期間についても、がん患者さんや診療に従事する先生方において重要な臨床的課題だと思います。これまでに日本腫瘍循環器学会で、ご専門の先生のお力添えをいただきながら、医療担当者向けに心毒性をテーマとしたセミナー実施などを、開催してまいりました。今後もがん寛解後も含めて腫瘍循環器領域における課題解決のために、メディカルアフェアーズ部門でできる活動を計画していきたいと考えております。

メディカルアフェアーズ部門の目的

そもそもメディカルアフェアーズとはどのような業務をされているのですか。

伊村私たちメディカルアフェアーズ部門は、コマーシャル部門とは独立した部署です。自社医薬品の販売促進を目的にした活動ではなく、社外の医学専門家と医学・科学的知見に基づいた意見交換などを通して、未解決の課題を特定し、それらを解決するようなエビデンスを作り、医療従事者の方に情報提供をしたり、医療従事者や患者さんに対する教育プログラムを提供したりします。関連する分野における医療の質の向上をはかり、最終的に、患者さんがより質の高い医療を受けられるようになることを目的とした活動を行っております。
腫瘍循環器の領域においても、患者さんが最適な治療を受けられるよう、実臨床下における課題解決に向けて活動しております。患者さん向けには、“がんを学ぶ”サイトにて、血栓症についてのページを設けるなど、疾患啓発活動も行ってまいりました。診療に従事されている先生方やがん患者さんにとって、治療のパートナーとなれることを目指して今後も活動をしていきたいと思っています。