血液凝固線溶系バイオマーカーのRCTが必要か? 血液凝固線溶系バイオマーカーのRCTが必要か?

がん薬物療法に伴う主要な循環器障害の1つに静脈血栓塞栓症(VTE)がある。「腫瘍循環器診療ガイドライン」でVTEについてまとめ、第5回日本腫瘍循環器学会学術集会のセッション「がん薬物療法中の静脈血栓症時の診断・治療」において「がん薬物療法にともなう静脈血栓塞栓症と凝固線溶系バイオマーカー」の演題で講演した窓岩清治部長に日本のがんに伴うVTE診療の実態と課題を伺った。

循環器の先生方から、がんの先生方からのコンサルト依頼が最も多いのが静脈血栓塞栓症(VTE)に関するものだという話をしばしば伺います。先生の場合はいかがですか。

窓岩 清治 先生

窓岩私は循環器の専門ではなく血液内科、特に血栓症と出血性疾患が専門なのですが、VTEとともに血小板減少や出血傾向、DIC(播種性血管内凝固症候群)、出血傾向が多いですね。

VTEについてですが、予防や治療については東京都済生会中央病院で定めたルールはありますか。

窓岩国立がん研究センター中央病院、がん研究会有明病院、聖路加国際病院そして東京都済生会中央病院で定めた診断と治療のフローチャート(INNOVATE Bayside Program)があるので、そのフローチャートに準拠して運用しています。細かいところは今後、見直していく必要があると思います。基本的な考え方や対応についてはあのフローチャートの使用が最も適切だと考えています。

あのフローチャートは腫瘍循環器の広場でも紹介しています。掲載を始めて約10ヵ月経過していますが、いまでも最も閲覧されている記事の一つです。それだけ、臨床現場ではVTE対策の重要性が認識されているのだと思っています。

“日本人型Khoranaスコア”の必要性と問題点

がん患者のVTE発症リスクを評価するスコアにKhoranaスコアがあります(表)。開発したKhorana先生は今年の日本腫瘍循環器学会学術集会で講演されていました。これは日本の医療現場でもよく利用されていると思いますが、窓岩先生は学術集会の講演で日本人に合ったように見直すべきだと指摘されましたね。

表 がん薬物療法に伴う血栓症の発症予測スコアと発症リスク

Khorana AA, et al.: Blood. 111(10): 4902-4907, 2008を一部改変)
患者の特徴 リスクスコア オッズ比(95% CI)
がんの部位 最高リスク:胃、膵臓 2 4.3(1.2-15.6)
高リスク:肺、リンパ腫、婦人科、 膀胱、精巣 1 1.5(0.9-2.7)
血小板 ≧350,000/μL 1 1.8(1.1-3.2)
ヘモグロビン値 <10g/dLまたは赤血球生成刺激因子の使用 1 2.4(1.4-4.2)
白血球数 >11,000/μL 1 2.2(1.2-4.0)
BMI ≧35kg/m2(日本人:25kg/m2?) 1 2.5(1.3-4.7)
VTE発症率:高リスク(スコア≧3)7.1~6.7%、中リスク(スコア=1~2)1.8~2%、低リスク(スコア=0)0.8~0.3%

窓岩今回のOncocardiology診療ガイドラインを作成にするに当たって、主管の矢野真吾教授(東京慈恵会医科大学腫瘍・血液内科)から「日本人の特性に則したガイドラインにしたい」というお話がありました。それが今回のガイドライン作成の基本的な考えになっています。Khoranaスコアは米国の臨床や研究データに基づいて作成されたものですから、日本と米国や欧州との医療体制の違いについて考慮する必要があります。

日本と欧米との医療体制の違いとは具体的にどのようなものですか。

窓岩例えば2022年現在、海外においてがんVTEの標準治療薬である低分子ヘパリンが日本では承認されていません(日本腫瘍循環器学会から公知申請中)。また日本で用いられている直接作用型経口凝固薬(DOAC)の用量が欧米とは異なるものがあります。
Khoranaスコアを本邦の日常診療で広く運用する際には、いくつかの問題があると思います。例えばこのスコアでは、BMI(Body Mass Index)35kg/m2以上をスコア「1点」としてカウントしています。米国ではBMIが35kg/m2以上に入る方は全人口の10%に相当すると言われていますが、日本人のBMIの平均は男性が23、女性は20でBMIが35kg/m2以上の日本人は全人口の1%と米国の10分の1です。世界保健機関(WHO)は「肥満」を“BMI≧25kg/m2”と定義していますから、日本人にKhoranaスコアをあてはめる場合にはBMI 30ないし25以上をスコア「1」とするのも1つの考え方であると思います。

日本人の標準的なBMIに向けて補正すべきというお考えですね。

窓岩実はそこで別の問題が存在します。欧米のがんVTEに対する治療の臨床研究や治験では、Khoranaスコア2点以上が患者の登録基準の1つである場合があり、スコアの構成項目やカットオフ値を安易に変更することは許されません。先に述べた低分子ヘパリンや登録基準などから現状では日本からグローバルな試験などに参加することは非常に困難であると思います。日本人だけを対象として十分なエビデンスが得られるような臨床研究を組むことが難しいので、今後は体型が似た中国とアジアの国々と連携して臨床試験を行うことも考えていくべきではないかと思います。

がんVTEの診療にバイオマーカーは推奨されるか

がん薬物療法に伴うVTEの診療にバイオマーカーは推奨されるかというClinical Questionを設定されていますね。ガイドラインの重要なポイントだと思いますが。

窓岩血液凝固反応の活性化と血栓溶解(線溶)に関して、日常臨床に用いられるバイオマーカーにはPF1+2、TAT、SF、D-ダイマーがあります。ガイドラインの作成にあたって日本図書館協会の山口直比古先生のご協力をいただいて文献検索を行いました。
その結果、がん薬物療法に伴うVTEの診療において凝固線溶系バイオマーカーに関する無作為化比較試験(RCT)はないものの、D-ダイマーに関しては8件の前向き研究と2件のメタ解析が存在しました。エビデンスレベルが高いとは言えませんが、VTE診療に有用であるという判断はしてよいと思います。
PF1+2には4件、TATには1件の前向き研究がありました。SFに関しては後ろ向き研究のみでした。PF1+2、TATは有用と推測されますが、エビデンスをさらに集積することが必要だと思います。SFに関しては、現時点で前向き臨床研究がなく本邦からの立案と実施が不可欠であるという結論です。

前向き研究は必要なのですね。

窓岩後ろ向き研究では得られる情報が限られてきますので、前向き研究を行うことが望ましいと思います。バイオマーカーの有用性を検証するためだけにRCTを行うというのは難しいので、何らかの薬剤の臨床試験とともに行うことが現実的だと思います。
凝固線溶系分子マーカーのうち、D-ダイマーはおおよそ数日単位で動きますが、PF1+2、TAT、SFは時間単位で動きます。臨床的な有用性という観点からはD-ダイマーの重要性は大きいのですが、これに加えてPF1+2、TAT、SFなどのバイオマーカーを組み込み、経時的変化を捉えることで、これら検査指標の有用性が証明できることを期待しています。

ガイドラインをまとめられる立場から現場の医師の皆さんへのメッセージはありますか。

窓岩日本にはまだ、プラスミン・α2-プラスミンインヒビター複合体(PIC)やPAI-1などのバイオマーカーが臨床検査として、またDOAC以外にも多くの抗凝固薬が血栓性疾患の治療に用いられており、多くの検証すべき課題があります。また、がんVTEの患者の病態には個人差も大きく、現時点では診療ガイドラインを参考にしながら、目前の患者の診療には個々の判断も重要であると思います。

窓岩 清治(まどいわ・せいじ)先生

1986年自治医科大学卒業。自治医科大学医学部講師を経て、2014年から東京都済生会中央病院臨床検査医学科部長。自治医科大学医学部客員研究員、慶應義塾大学医学部講師をそれぞれ兼務。日本血液学会代議員、日本血栓止血学会評議員、日本検査血液学会理事などを歴任。2021年4月から日本腫瘍循環器学会評議員。専門は血液学、凝固線溶学、脈管学。