私たちががん関連血栓症診療フローチャートを作った理由をお話しします 私たちががん関連血栓症診療フローチャートを作った理由をお話しします

循環器専門医が腫瘍医から相談される内容で非常に多いものが、がん関連血栓症に関するものといわれています。がん研有明病院の志賀太郎部長らが近隣の中核病院と共同でがん関連血栓症マネジメントに特化したプログラム“INNOVATE bayside”で管理フローチャートを作成しました。志賀部長にプログラム作成の狙い、運用の成果と本邦のがん関連血栓症対策の現状を聞きました。(聞き手:小崎丈太郎)

腫瘍循環器領域においてがん関連血栓症のマネジメントは最も大きなテーマの一つだと思います。腫瘍医から循環器医へのコンサルトで非常に多いものが、このがん関連血栓症にかかわるものだそうです。志賀先生はこの問題について活発に情報発信をされています。日本についていうと、この領域で何が足りないとお考えですか。

志賀太郎先生

志賀たくさんの課題があります。まず海外と比較して治療に使うことができる薬剤の適応が少し異なることが大きな問題だと思います。米国臨床腫瘍学会(ASCO)のガイドライン2019では、静脈血栓塞栓症(VTE)の高リスク症例(Khorana 2点以上)と判断された場合にはアピキサバンやリバーロキサバンなどの経口直接Xa阻害薬(DOAC)、低分子ヘパリン(low molecular weight heparin: LMWH)を予防的に投与することが認められています。一方で本邦では、一次予防にDOACを使うことが認められていません。今後、将来的な検討課題として、このがん関連静脈血栓症合併の高リスク症例への一次予防について取り上げられることがあればと思っています。

LMWHが未承認であることの意味

日本ではLMWHは公知申請されていますが、まだ承認されていませんね。

志賀LMWHの問題も日本では克服されなければならない問題の1つです。実際には臨床現場において、LMWHがないことで治療が上手くできなかったという経験は多くはありません。通常の未分画ヘパリンとDOACでほとんどの症例を適切に管理することができます。しかし、LMWHが日本で認可されていないことはやはり問題と言わざるをえません。理由は2つあります。
1つは胃がんや胃潰瘍など上部消化器出血の高リスク症例ではDOACよりもLMWHのほうが、患者管理上安全度が高いとされるケースがあります。私も出血性の胃がん患者でVTEを合併したケースでLMWHを使用できずに患者管理に大変悩んだ経験があります。
もう1つ、こちらのほうが重大な問題ですが、欧米ではVTEに対する第一選択がLMWHとなっていることです。欧米で主流の治療が日本でできないということは、今後がん関連VTEの治療、管理についての国際的な議論に日本が十分な経験値をもって参加できないことになります。その意味でもLMWHが承認され、使用できるようになることはやはり望ましいとわたくし自身考えています。

がん関連血栓症に特化したプログラムの意義

がん関連血栓症をマネジメントするためのプログラム(INNOVATE bayside)で管理フローチャートを作成しましたね。そして、昨年(2021年)の日本腫瘍循環器学会学術集会で運用の結果を報告されています。

志賀INternational Network fOr Venous and Arterial Thrombosis Excellence in practiceがINNOVATEの由来です。もともとがんに限らない血栓症のマネジメントについて、多岐にわたる専門家が集い、ディスカッションを通じて施設や地域にとって最適な血栓症診療の実践、クリニカルパスの作成、運用に役立てる機会を提供するためのプログラムです。第1回は英国で開催され、現在では10ヵ国で開催されています。日本においても20ヵ所以上の地域で開催されています。
われわれの参加するプログラム、INNOVATE baysideは、血栓症の中でもがん関連血栓症に特化したプログラムで、有効な管理やがん専門病院と総合病院との効果的な連携を目指すプログラムとなっています。2016年にがん研有明病院、国立がん研究センター中央病院、東京都済生会中央病院、聖路加国際病院の4病院で活動を始め、以後は多職種によるディスカッションを重ね、がん関連血栓症に関する知識を共有し、治療の標準化を目指して活動してきました。
がんは血栓が形成されやすく出血もきたしやすい病態です。そこに手術や薬物療法といった血栓リスクをさらに上げるがん治療が必要となるがん患者への血栓症管理のジレンマがあります。がんの病態は複雑なうえ、病態が進んでしまったケースでは余命を考慮した治療方針決定が求められます。がんのステージや患者個々に応じた対応が必要となります。血栓症への治療の有効性、出血回避の安全性、これらのバランスを見極めた管理が求められます。そうした難しい管理が求められますが、まずはがん関連VTE患者管理の一般的な指針を構築する必要があると考え、管理フローチャートを作成しました。
管理フローチャートは、がんの手術の「周術期」のものと「非周術期」のもの、つまり外来化学療法中に発見されたVTEへの対応のものに分けています。「周術期」では、施設基準値以上のD-dimer測定値が得られた患者において主治医の判断で下肢エコーやCTによる画像検査をオーダーします。その結果、深部静脈血栓症(DVT)に至ったあと、末梢型DVTと中枢型DVTに分けて管理フローチャートを作成しました。「非周術期」では肺塞栓症重症度指数(PESI)、特にその簡易版(sPESI)を用いて重症度を層別化し、sPESI≧2と判定された場合に入院治療へ、2未満を外来治療へ振り分けるようにしています。詳細は日本腫瘍循環器学会の教育WEBセミナーで紹介していますので参照していただけますと幸いです(https://j-onco-cardiology.or.jp/webmovie-content/4-6-shiga-teacher/)。

4年間の運用の結果はいかがですか。

志賀がん研有明病院で、今回作成したフローチャートで管理した患者を後ろ向きに調査しました。本フローチャートの実臨床における検証では、「周術期」「非周術期」フローチャートいずれも出血、血栓再発について患者にとっての明らかな不利益は認められなかったと考えられる検証結果を得ることができました。単施設での後ろ向き調査でありますし、強い実証とは申し上げられませんが、今回作成した管理フローチャートはおよそ妥当なものだと信じています。

現在、日本腫瘍循環器学会が作成している診療ガイドラインに反映されることになりますか。

志賀そのようなことになればINNOVATE baysideの一員として嬉しく思います。しかし、日本循環器学会や日本腫瘍循環器学会など学会主導で企画されたプログラムではなく、限られた施設からの発信であり、本フローチャートがガイドラインへ反映されるのは難しいのではないかと思います。ただし、それなりに議論を尽くした結果の賜物であり、妥当なものが出来ていると思っています。

メディカルスタッフの発言の場を確保することが大切

INNOVATE baysideプログラムを実践していく過程でみえてきた課題がありましたか。

志賀まずは、これまでのがん診療の歴史から致し方ない点なのですが、本邦のがん専門病院では、循環器診療を行うにあたり、マンパワー的や診療設備的に十分とは言えない環境であることが少なくないということです。それだからこそ、そのためにも日本腫瘍循環器学会が立ち上がったり、がん専門病院と総合病院との連携を考える本プログラムが設立されたりなど、社会への本領域の重要性についての啓蒙活動がなされるようになったと理解しています。ただ、現状まだこの活動は道半ばであります。今後もさらなるがん診療の発展が予想され、がん関連血栓症を含め腫瘍循環器学的事象が今後も増加する可能性を考慮すると、がん専門病院における循環器的診療のさらなる充実化や、地域総合病院との連携の強化は考慮されるべきだと思いました。
INNOVATE baysideで作成したがん関連静脈血栓症の管理フローチャートは4施設で練り上げたものであり、それなりに意義高いものだと感じており、多くの医療機関で利用してほしいという気持ちはあります。一方で、既に多くの医療機関において、静脈血栓管理の方法、フローチャートなどが存在しています。主に医療安全の観点から各施設で設置されているものです。そこに、がんに特化した管理フローチャートを合わせ入れるかどうかは、各施設の事情によって異なると思います。今回作成した管理フローチャート、いわゆる“たたき台”は作成しました。その利用、運用については各施設の事情に応じてご検討いただき、少しでも有効な管理ツールとしてご利用いただければ大変嬉しく思います。
またINNOVATE baysideの運用にあたって、各職種が公平に参加でき、多職種による意見交換の場を提供することの重要性を痛感しています。とかく、医師からの発言、発表が多くなりがちです。しかし、特に血栓症の管理においてメディカルスタッフの果たす役割は絶大で、メディカルスタッフがいなければ現場は立ち行かなくなります。弾性ストッキングやフットポンプの管理や生活指導をする看護師、薬剤の副作用の情報提供をする薬剤師、血栓症の画像診断にかかわる検査技師など多職種が多くかかわる血栓管理について、多職種が公平に参加できるプログラムの構成を今後も目指して行きたいと考えています。
さらに、血栓領域は静脈血栓にスポットが当たりがちです。しかし、実はがん関連血栓症では、動脈血栓なども重要な問題です。とくに、トルソー症候群などでは脳梗塞などの動脈塞栓症を合併し重篤な病態を呈することもあります。このようなケースについては、脳神経領域の先生方など他科の先生方ともディスカッションする必要があります。動脈血栓管理への注目度も静脈と合わせて高めていきたいと思っており、これも大きな課題であると考えています。

腫瘍医により大きく関心をもってもらうために

腫瘍循環器では循環器の専門医に比べ、がんの専門医の認知が十分ではないという印象があります。志賀先生は循環器の医師でありながら、がん専門病院で診療や研究を続けられています。腫瘍医の関心を高めるために何かアイデアはありますか。

志賀現状では確かにその通りです。個人的には多くのがん関連学会で腫瘍循環器にかかわるセッションを組んでいただき、腫瘍医のいる場での循環器的情報発信の場を増やすことができたらと考えています。日本循環器学会など多くの循環器関連学会で腫瘍循環器に関する議論がなされる場が増えてきました。その場でどのような議論が行われたのかなどを、この「腫瘍循環器の広場」などのメディアやSNSを介して積極的に発信していくことが、腫瘍医の先生方に興味を抱いていただくきっかけになる第1歩だと考えております。私自身、日本循環器学会広報部会サポーターや日本腫瘍循環器学会広報委員会に属しており、少しでも本領域の発展、啓発に寄与できればと考えています。

志賀太郎(しが・たろう)先生

公益財団法人がん研究会有明病院 院長補佐
腫瘍循環器・循環器内科 部長
1999年金沢大学医学部医学科卒業、2008年東京大学大学院医学系研究科修了。同年東京大学医学部附属病院循環器内科医員、10年に同循環器内科助教。13年にがん研有明病院総合内科循環器内科副医長、14年に同医長。16年同副部長、17年からは腫瘍循環器・循環器内科部長に就任。